ケンタ(全24話:完結)
2007 / 02 / 05 ( Mon ) http://www.fmfc.jp/fm2007/02/1011c.html
ケンタの父親は、普通のサラリーマンだが、母親は、ブラジル人だった。 どういった経緯で、この二人が出会ったかなんて、 ケンタは聞いたこともないし、知りたくも無かった。 母親の名前は、葛西サンターニャ。 肌は栗色で髪の色は黒、瞳の色も黒い。 どちらかというと、インド系のような顔立ちをしているが、 スペイン人かポルトガル人のようにも見える。 受け継いだ血にどれほどの過酷な歴史が刻まれているのか、 いまのケンタには知る由もない。 サンターニャは40歳を過ぎても50歳近くになってもなお美しい。 ケンタにもサンターニャの血が受け継がれているはずなのだが、 ケンタの容姿は赤ん坊の頃から完璧な日本人だった。 どうやら見た目を司る遺伝子は圧倒的に父親の幸次郎が勝っていたらしい。 呪われ、血塗られた時代がつい200年も昔に全盛期だった頃を生き抜いたサンターニャの遺伝子は、柴犬のような幸次郎の武士の精神によって全滅してしまったのだと周囲は考えていた。 父親の幸次郎は、うだつの上がらない晩年ヒラのサラリーマンだった。 運動神経も無く、腹も当然のようにでっぷりとし、 1メートル以内に近づくとへんな臭いがする。 容姿も決して良いとは言いがたく、いつもよれよれの背広を着て朝会社へ行く。 ケンタはまだ若いので、 髪形や服装にさえ気を使えば、それなりの見た目にはなるのだが、 顔の形は、父親のそれとそっくりなので、 少しでも気を抜くと、冴えない青年時代の幸次郎の写真と瓜二つなのだ。 スポンサーサイト
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それでも、ケンタは母親から受け継いでいるものが二つあった。 一つは、陽気なラテンの血だ。 母親のサンターニャは、とにかく人懐っこくて明るい性格であるが、 ケンタはそれ以上に陽気だった。 サンターニャは、日本的な近所づきあいという点で不向きな性格ともいえるが、 子供のケンタはといえば、小学校、中学校と友達がいなかったためしがない。 どこのクラスへいっても、輪の中心人物だった。 それと、あともう一つ。 ケンタや、幸次郎が、サンターニャから受け継いだ力に初めて気がついたのは、 ケンタが小学校2年生になったときだった。 小学校で開催された球技大会。 ケンタが参加する種目は、サッカーだった。 ルールはおろか、まともにパスもシュートもできな小さな子供たち。 その中で、小さなケンタは一人異彩を放っていた。 おそらく、そのときのサッカーこそが、 ケンタが生まれて初めて体験した、最初の総合運動スポーツ。 走る。ボールをコントロールする。パスを出す。 そしてシュートをする。 ただ走るだけなら、ケンタは常に、クラスでもトップだったが、 走りながらボールを蹴る。走りながら周囲を確認する。そしてなにより、 ケンタは、ぶつかったり、躓いたりしても転ぶことが無かった。 骨格が似ていたのは、頭蓋骨だけで、 それ以下の首から下の部分は、 すべサンターニャの遺伝子を受け継いでいたのだ。 権力と争いと冒険の血。 太陽の恵みと野生の血。 過酷な労働と生活、屈辱と死の恐怖。 力にも、病気にも、精神でも決して怯むことの無い強靭な体。 祖先達が、その子孫のために命を削って築き上げた地球上で最もタフな体。 それらの記憶が脈々と受け継がれたサンターニャの体には、 地球上で最もすぐれた運動能力を持つ種族の遺伝子が組み込まれていたのだ。 そして、それをケンタは受け継いだ。 サッカーというスポーツによって、 ケンタに秘められた日本人離れした筋力バランスが、 はじめてその体から放たれたのだ。 いや、眠りから目覚めたというべきか。 生まれ出でた瞬間の産声から数年の歳月を経て、 類まれな才能を秘めた運動能力が今また、 ケンタの内側から産声をあげたのだった。
by: Aka7 * 2007/02/05 05:24 * URL [ 編集] | page top↑
--サンターニャ--
ケンタは、小学校2年生以来、サッカーに熱中した。 母親のサンターニャは、サッカーにのめり込むケンタに心酔た。 さすがに、毎日練習を見に行くわけにもいかなかったが、試合がある日は必ず応援に駆けつけた。 ブラジル仕込のサンターニャの応援は凄まじかった。 普通のママは、小学生のサッカーの試合なんて、とにかく自分の子供をまず応援する。 自分の子供が活躍すれば、自慢げに周囲に「ウチの子よ!!ウチの子が!!」と喜んだりする。 怪我なんかした日には、程度にかかわらず、卒倒しそうに「あぁウチの子よ!!、ウチの子がぁぁあ!!」 散々、自分の息子を応援して、試合の勝敗はその次だったりする。 しかしサンターニャは違った。 ケンタ一人の活躍だけでなく、ケンタのチームそのものを応援していた。 悪いプレイには、誰の子であろうと見境無く 「ナニヤッテノ!!!ハシル!ハシレ!!」 しかし、良いプレイをすれば、心からその子供を賞賛する。 得点しようものなら、その場でだれかれかまわず抱きついて、しまいにはサンバまで踊りだす。 逆に失点しようものなら、ひときわ大きな悲鳴をあげてから、放心状態になる。 ケンタが5年生の時、一度だけ、県大会の決勝まで勝ち残ったことがあった。 サンターニャは、知り合いのブラジル女性数人で、お手製の旗にお手製のレプリカユニフォーム、 おまけにフェイスペイントまでこしらえて観客席に詰め掛けた。 異様だった。 観戦に訪れた他の子供の母親、父親達は恥ずかしさすら覚えた。 でも、ケンタはうれしかった。 「見ろよ、ブラジルみたいだぜ。」 チームメイトも最初は圧倒されていたが、だんだんとその雰囲気が心地よくなっていた。 サンバ軍団は、とにかく一つ一つのプレイに反応してくれるのだ。 パス、シュート、タックル、クリアボール、 何にしても、良いプレイをすれば、ひときわ大きな歓声を上げてくれるし、 失敗すると、こっちは小学生なのに遠慮なしにブーイング。 相手のチームは、何度も県大会で優勝している強豪チームだったけど、 なんか、すごく緊張している。 監督は怖そうだし。応援に来ているパパやママも、 「ウチの子Jリーガーになれるかしら・・・」 しか、見えてない。 ケンタ達のチームは、サンターニャらの熱狂的サポーターに支えられて、とにかく善戦した。 元々、決勝まで勝ち残れるほどのチームでは無かった。 でも、ここまで勝ち残れたのは、たぶん、サンターニャ達の応援があったからだと思う。 後半に入ってから、ケンタが怪我をした。 ボールと、相手の足とを避け損ねての軽い捻挫だった。 さすがにサンターニャの顔は青ざめていた。 ケンタは、サンターニャに笑顔を返した。 「かあさん!!応援!!して!」 思い出したように、サンターニャはピッチに視線を戻した。 今この会場で、最もサッカーを、いや、フッチボウを、いや違う、 母国を愛しているのは、間違いなくサンターニャだ。 それは、ラテンの血のなせる業かもしれないし、そうでないかもしれないが、 とにかく、サンターニャは愛する我が子が何のために、なにを求めて怪我を負ったのかをよく理解していた。 サンターニャは最後の最後まで、チームの勝利を祈り声援を送った。 しかし、チームは0対2で負けた。 その日の帰り道。二人は声を上げて泣きながら家に帰った。 --ブラジルへ行く--
ケンタは、内気な父親よりも、自分と性格の似た母親のサンターニャが好きだった。 なにより、父親の幸次郎はサッカーよりも野球派だ。 べつに、どこのファンというわけでもなく、「TVつけたらやってた」程度の動機で、 巨人戦を時々眺めていた。 幸次郎は、サッカーのことは殆ど知らない。 というか、どうしてこの父親からオレが??というくらい、運動オンチだ。 たぶん、サッカーの神様は、せめてこの親父の息子である証として、この顔をオレに与えたんだ。 で、サッカーに必要な全ての素質を、母であるサンターニャから受け継いだんだ。 でも、この話をサンターニャにしたら、 「あなた、なにいってんの?サッカーの神様はジーコよ?」 と、一笑された。 じゃあ、おれはジーコに作られたのか? ケンタは、サッカー漬けの毎日だった。 もちろん、母親のサンターニャは、心から応援してくれていたが、 根っからのサラリーマンだった幸次郎は、どちらかといえば反対だった。 サッカーで飯なんか食えるわけが無い。 勉強して、大学を出て、父さんと同じサラリーマンになってほしい。 あるとき、 ケンタの将来のことで、サンターニャが激怒していた。 用意された人生なんて、面白くもなんともない。 夢は、自分の手で掴み取るものなんだって。 そんなことを、サンターニャが怒鳴っていた。 次の日の夜。サンターニャがケンタに泣きながら言った。 「ブラジルに帰るわ・・・」 冗談だと思っていたら、本当だった。 サンターニャは、次の日には、もういなくなっていた。 サンターニャからの置手紙があった。 ポルトガル語で書いてある。 サンターニャは、日本語は話せるが、文字を書くことはできない。 でも、ケンタも、簡単なポルトガル語は、サンターニャから教えられていたので、 日常会話程度なら、問題なく話せるし、ジーコ監督やブラジルの選手のインタビューは、 字幕や同時通訳がなくても、理解できるくらいには、なっている。 サンターニャも、ケンタにわかる程度の簡単なポルトガル語で手紙を残していた。 どうして日本に来たのかは書かれていなかったが、 どうしてブラジルに帰ることになったのかが書いてあった。 そして、もし、本当にサッカー選手を目指すのなら、 中学を卒業したらブラジルでサッカーをしない? ケンタなら、きっと素晴らしいサッカー選手になれるわ。 お父さんは反対している。 日本で生きていくなら、お父さんの考えが正しいのかもしれない。 でも、ブラジルでは、夢は与えられるものじゃなくて、掴み取るものなの。 ケンタには、半分ブラジルの血も流れている。 でも、半分は日本人。 その両方がケンタなの。だからあとは自分で決めてほしい。 そんな内容だった。 手紙には、サンターニャの実家の住所が書いてる。 勝手な手紙だった。 でも、そんなの決まっている。 オレはブラジルでサッカーがしたい。 中学を卒業しても、すぐにブラジルへ行くことはできなかった。 お金が無いのだ。 父さんにお願いしたら、 「いきたきゃ自分で稼げ」といわれた。 しかたなく、高校に進学した。 サッカー部には入らなかった。 夕方、スポーツ新聞を駅の売店に配達するアルバイトをした。 短時間でできて、時給も良く、足腰を鍛えるのにも丁度良かった。 終わってから、ボールを持って、近くの公園で軽く汗を流した。 日曜日は、レストランの店員になった。給料は安いけど、 根っから陽気なケンタは、店長にもお客さんにも可愛がられた。 旅費はすぐにたまった。思ったよりも安かった。 サンターニャに手紙を出すと、2週間くらいで返事が返ってきた。 空港まで迎えにいく。旅の安全を祈っています。といった内容だった。 そして高校1年の夏休み。 バイトで稼いだお金をすべて降ろした。 サンターニャが買ってくれたトレーナー上下。サッカーボール。 中3のときから使っていないスパイク。 それと、三日分の着替えをバックにつめた。 幸次郎が、心配そうに見つめていた。 「じゃ、いってくる」 「ああ。かあさんによろしくな。あぁ、そうだ、これ…もってけ」 幸次郎は、さも思い出したかのように瓶詰めの梅干を手渡した。 サンターニャの好物だった。 こんなの、いつの間に買ったんだろ?? 「気をつけてな。」 「うん。」 ケンタは、ブラジル・サンパウロ行きの飛行機に乗った。 --Brazil--
空港では、サンターニャが待っていた。 感動の再会? なんて、程遠いかった。 ケンタは、必ずブラジルに行くつもりだったし、サンターニャも必ず来ると思っていた。 幸次郎にとっては、日本の家と高校こそがケンタにとってのホームグラウンドであり、 ブラジルへは、夏休みの旅行程度に考えているところがあるが、 ケンタにとっては、旅費を稼いだ3ヶ月間が、とりあえずの生活であり、 ブラジルこそがケンタのホームグラウンドのような気がしていた。 しかし、現実は結局のところ、旅行だ。 ビザが旅行ビザなので、決められた便で日本に帰らなくてはならない。 帰りの飛行機のチケットもすでに買っていた。 それでも、サンターニャとケンタの再開は、感動の再会ではなく、 長い旅行を終えてやっと帰ってきたケンタを、 「おかえり、ケンタ。疲れたでしょう。帰ってゴハンにしヨネ」 といった雰囲気さえあった。 ケンタもサンターニャもラテンの人種なので、日本人のように、クヨクヨと、くどくどと考えたりはしない。 とりあえず、二人とも、「感動の再会」だなんて思っていないことは間違いなかった。 ----
サンターニャの実家は、サンパウロのグアルリョス空港から車で30分ほどいったところにあった。 30分といっても、がらがらのハイウェイを、かなりすっ飛ばしていたので、距離はそれなりだろう。 フンダイという町だった。 サンターニャの家は、 赤茶色いトタンのような平らな屋根がのっかった平屋だった。 日本で生活していたときのマンションと比べたらはるかに広くて大きな家だ。 というか、見渡すと近所の家もほとんどがそんな感じの家ばかりだった。 サンターニャは、30分も歩けば、パウリスタという地元サッカーチームのホームスタジアムがあると言った。 玄関で、サンターニャの家族が出迎えてくれた。 最初に紹介されたのは、サンターニャの母親のニャターリ。つまりケンタの祖母に当たるわけだが、 80歳近い年齢だがとてもそうは見えない。 次に、サンターニャの妹夫婦ジュオールとセスターニャ、 その息子のカルロス、次女のレイラの6人暮らしだった。 ブラジル人は、正式にはポルトガル人同様にとにかく長ったらしい名前らしいのだが、 どこへいっても短い愛称で呼ばれているらしい。 サンターニャもわずらわしい部分は省略して、全員を紹介してくれた。 そういえば、ブラジルのサッカー選手もジーコを筆頭にみんな愛称で呼ばれてるよな。 ----
とにかく、彼らはサンターニャを除いて初対面だし、 おまけに地球の裏側ほども離れた場所で暮らしているわけだが、ケンタの親戚なのだ。 みんなブラジル人だったが、違和感はまるで感じなかった。 日本の友人達や、幸次郎の親戚とはまるで違う。 打てば響く、打楽器のようなにこやかさと明るさが、彼らにはあった。 ケンタはそんな彼らの中にすぐに溶け込むことができた。 自分の体に彼らと同じ血が半分だけ流れているんだということを改めて実感した。 ケンタは、日本での生活でいつも物足りなさを感じていた。 うまくは言えなかったが、人付き合いが窮屈に感じていたのだ。 サンターニャも日本に居たときから同じようなことを言っていた。 幸次郎に言ってもまるで理解してもらえなかったが、 こうして、ブラジルに訪れて、サンターニャの家族に触れてみると、ケンタの心の奥からたぎるものをハッキリと感じる。 ケンタは、見た目は日本人だけど、中身はブラジル人の血を引いた南米の子なのだ。 定められた、決まりきった社会が窮屈なのだ。 日本でサラリーマンとして人生の大半を過ごした幸次郎には、やはり理解してもらえないだろう。 幸次郎にとっては、日本での生活が全てであって、それこそが幸次郎にとっての窮屈さを感じることの無い幸福な人生なのだろう。 おそらく、幸次郎がブラジルに来て試しに生活をしてみたとしても、窮屈で不安でどうにもならなくなるはずだ。 ----
ケンタは、リビングのソファーに腰を下ろして、レモンの絵がついた缶ジュースを空けて口に含んだ。 「ん、そうだ。かあさん、父さんからお土産」 幸次郎から預かった瓶詰めの梅干をバックから取り出してサンターニャに見せた。 サンターニャは飛び上がって喜んだ。 「ヒュ~!アイシテルワ、コウジッ!」 サンターニャは、さっそく、瓶から一つとりだすと、口の中にいれて渋い顔を作った。 それを見ていた祖母や、妹夫婦も、首をかしげながら一つを口に入れてみた。 祖母は、平然としていたが、妹のセスターニャは悲鳴を上げて、口から吐き出してしまった。 「ウメボシ、ウ・メ・ボ・シ。」 サンターニャが家族に説明をしていた。 ケンタは目を閉じて、父親、幸次郎のことを考えた。 日本に帰ってから、サンターニャの喜びようをどうやって父さんに伝えようかと考えていた。 日本から、およそ24時間の長い旅だった。 祖母のニャターリが、膝かけにしていた薄手の毛布をケンタにかけた。 ケンタは小さな鼾をたてて眠っていた。 ----
翌日。 ケンタは、多少の時差ぼけを感じつつも、疲れはだいぶ抜けていた。 ほとんど、丸二日、ボールに触れていなかったケンタは、バックからサッカーボールを取り出して庭に出た。 日本は、夏真っ盛りの7月の半ばではあるが、 ブラジルは風も心地よくて、日本のようなじめじめとした暑さは感じない。 ケンタは、軽いリフティングを始めた。 ボールの音を聞きつけたのか、 いつの間にか、妹夫婦の長男であるカルロスが庭へ出てケンタのリフティングを眺めていた。 ケンタは、ボールを垂直に蹴り上げて、ヘディングでカルロスの足元へボールを飛ばした。 カルロスが、なにげなしにボールを左足でトラップし、リフティングを始めた。 カルロスはサンターニャに似た栗色の肌に、茶色がかった髪の色をしている。 なかなかの美男子だ。 しかし、ケンタはそれ以上にカルロスのボール捌きに見惚れた。 うまいのだ。カルロスは、眉一つ動かさず、簡単にやってのけているが、 どのタッチも実に繊細でやわらかく、 ボールは、彼の足のいろんな部分に吸い付いているように見えた。 カルロスがひとしきり、リフティングをすると、右足インサイドでケンタにボールを返した。 カルロスがポルトガル語でケンタに話しかけた。 「サッカーうまいんだって?サンタおばさんから聞いてるよ」 ケンタは、適当に笑顔を取り繕って、転がってきたボールをワンタッチでカルロスに返した。 「カルロスは、何歳?」 カルロスは、つま先、膝の順でボールを蹴り上げて、おでこでケンタの胸にボールを返す。 18歳だと答えた。 ケンタはボールを胸でトラップして足元に落とした。 「サッカーの練習とかしてるの?」 と、カルロスに聞いた。 「練習?、練習ってクラブチームに入ってるかってことかい?」 カルロスは首をかしげながらさらに質問に答えた。 「いや、おれなんかじゃ無理だよ。たまに遊びで友達とストリートならやるけど。今日も行くんだけど、一緒に来るかい?」 ストリート? フットサルのことだろうか? ケンタはほとんど、クラブ活動や部活動として、サッカーをやってきているので、 練習の一環としてのミニゲームならさんざんやっているが、フットサル形式でサッカーをしたことは無かった。 「もちろん、いくよカルロス。」 「そうか、じゃあお昼を食べたら一緒に行こう、ケン。」 ----
フットサルならぬストリートへいくことを、サンターニャに話したら、一緒に行くといいだした。 カルロスの妹、レイラも家で暇をもてあましていたので、暇つぶしについてくるらしい。 ケンタ達は4人で、フットサル場へ行くことになった。 フットサル場といっても、ただの空き地だった。 互いのゴールまでの距離は30メートルもないくらい。 片方には、コンクリートの灰色のビル壁に、 少し斜めってるがチョークで四角い枠が書かれていた。 枠の横幅は1メートル半くらいしかなく高さも2メートルも無い。 アイスホッケーよりも少し大きいくらい。サッカーのゴールにしてはやけに小さい。 もう片方は、2メートルくらいありそうな民家の壁の手前に、 アメリカ人の背丈ほどの錆びた鉄の棒が、 こちらも1メートル半くらいの幅で2本突き刺さっている。 ちなみに、タッチラインの両サイド、片方は民家の壁があるのだが、もう片方は壁がなく、 靴で引かれたタッチラインの上を風に吹かれた小石が転がっていた。 その向こうには、延々と草原が続いていて、ところどころに車が停められている。 この草原にボールが出た場合のみ、スローインというルールが存在するらしい。 こんなところで、サッカーするなんて、小学校の低学年以来かもしれないと、ケンタは思った。 カルロスが、ロナウドそっくりに見える若者を紹介してくれた。 「ジョナスだ。ジョナス、親戚のケンだ。さっき少し見たけどかなりやりそうだぜ。」 ジョナスが右腕を差し出した。すぐに握手を交わした。 たぶん、カルロスと同い年くらいなのだろうが、マイクタイソンのような二の腕をしていた。 カルロスは、相手のチームの3人も順に紹介してくれた。 一人、ジョンという白人が混じっていた。15歳で、ケンタと同い年だった。 ジョンには、一つ下の弟がいるが、今回はケンタが入ってしまうので控えに回ることになった。 ボールは普通の5号級だった。 3対3。ゴールキーパーは無し。接触プレーも一切禁止。 「それが、このスタジアムのルールだ」と、カルロスが説明してくれた。 カルロスが、中央にボールを置いた。 ケンタと、ジョナスが、カルロスを頂点にした三角形の形で配置についた。 ジョンたちのチームは、一直線に並んでいる。 草むらの中の車によっかかって、サンターニャが腕組みをしていた。 その横で、手のひらをメガホンにしたレイナが、ジョナスにだけ声援を送った。 なんでジョナスだけなんだろう? カルロスが、体を斜めに傾けながら、右足のインフロントで、ちょこんとケンタにボールを出した。 同時に、相手のチームのジョンたちが軽やかなステップで、それぞれの位置に散っていった。 どうやら、キックオフらしい。 ----
相手のチーム。 ケンタの真正面にジョン。 中央はジョナス以上にガッチリとした体格でかなり濃い肌のロブという青年。 反対サイドにレックスという2メートル近い身長のクラウチのような体格をしたやせ細った男が居た。 右斜め前方のカルロスが、ケンタにパスを出した。 ボールは転々と、ケンタの足元に転がり込んできたので、ボールを中央に止めた。 前方から、ジョンがニヤけた顔をして小走りで、向かってくる。 お手並み拝見といったところだろうか? ジョンがあと1メートルと迫った。 ジョンの左足が浮いたタイミングで、ケンタは左足でフェイントをかけた。 ジョンの左足がやや開き気味で地面についた。ジョンの重心がほんのわずかだが左足にかかったまま、右足が宙に浮いた。 ケンタの左足は、ボールをまたいで、右足のアウトサイドで、右斜めに転がした。 ジョンを交わすと、前方にカルロスがいた。 「ヒュ~~ゥ!」と、ジョナスの口笛が聞こえた。 ケンタは、右のインサイドでカルロスにパス。 ボールが若干、浮きすぎてしまった。 遊びとはいえ、試合形式でサッカーをするのは、中学以来のことだ。 カルロスが、右足でボールをトラップした。 すると、左足を同時に使って添えて抱え込むようにして、背中の側から垂直にボールを跳ね上げた。 簡単にやってのけているが、タイミングといい、ボールの高さといい、 ケンタには、ほとんど芸術に近いリフティングに見えた。 カルロスが、後ろにステップしてヘディングで中央に浮かせたボールを送った。 中央にいた相手チームのロブがジャンプした。チリチリの髪の毛の先端がかすった ボールは反対サイドのジョナスの頭上へピンポイントで落下していった。 ジョナスのヘディングシュート。 ボールはゆっくりと、2本の鉄柱の間を通過していった。 「ウォウ!ゴルゴ~~ル!」 カルロスが、両手の人差し指をジョナスに向けてエールを送っていた。 ジョンが悔しそうにしていた。 「やるじゃねぇか!!」 ----
相手チームのキックオフ。 といっても、始まりは、やっぱり唐突だった。 審判が居ないし笛も吹かないのだからしょうがないが、 いまいち気合が入らない。 ロブが、左後ろのレックスにボールを出して、小走りで中央からゴールに駆けた。 ケンタは、ジョンとある程度の間合いを取っていた。 パスが出たところで、カットしてやろうと目論んでいた。 案の定、レックスがジョンへのパスモーションをとった。 ケンタが咄嗟に重心を前にかけた。 ケンタの得意なポジションは、サイドハーフかサイドバック。 カットのタイミングはある程度熟知している。 レックスがジョンへグラウンダーのパスを出した。 奪えると思った。 しかし、それは甘かった。パスがとんでもなく速かったのだ。 おまけに、レックスはキックモーションをほとんど見せなかった。ボールが地面から勝手に飛び出したかのようにも見えたほどだった。 不意をつかれて、ケンタはボールにまったく反応できなかった。 シュートのようなグラウンダーのパスだった。 しかし、ジョンは、いとも簡単にこのボールをトラップした。 寸部の狂いもなく、自分の足元、走る先に、ボールをコントロールした。 カルロスがすぐにマッチアップに走った。 ケンタは、中央のカバーに回った。 ジョンは、ドリブルしながら左足でカルロスを交わす動作をした。 カルロスの重心が咄嗟に左足にかかっていた。 ジョンの左足は、ボールをまたいだ。ケンタと同じフェイントを使った。 結局、あの高速パスをトラップした次のタッチで、 右足でボールをコントロールして、カルロスを抜き去った。 ジョンは、生きているボールを操って、テクニシャンのカルロスを煙に撒いた。 ケンタは、中央のロブのマークに間に合いそうだった。 今度こそカットしてやる!と、ジョンの次の動作に集中した。 しかしジョンの、三度目のボールタッチは、パスではなく、シュートだった。 右足のインステップでまっすぐに蹴りだしたボールが、 チョークの枠の中のコンクリートにあたって跳ね返った。 角度の少ない難しいシュートだった。 ケンタは、転々と転がるボールを目で追いながら、呆然とした。 ボールが、タッチラインを超えて、草原の観客席に転がっていった。 味方チームの失点を目撃したサンターニャが、いつものように、放心状態に陥っていた。 いつの間にか、ビルの何階の窓からか、何人かの人がこのゲームを観戦していた。 「オ~!ッホ~!ッホッホ~。」 と、ひげをはやしたおっさんが、手をたたいて、今のジョンのプレイを称えていた。 「いいフェイントだ!」とかそんなようなことも口にしていた。 ジョンは、誰のプレイを真似ているのかわからなかったが、人差し指を掲げて、ピッチを駆け回り、最後に両膝を突いて空に向かって両手を広げていた。 こんな場所で、 しかも、遊び半分のサッカーだった。 なのに信じられないようなハイレベルなサッカーが存在していた。 おまけに、そこらへんのおっさんでさえ、いまのジョンのテクニックがどういうレベルのものなのかを理解している。 もし幸次郎だったら、たぶんシュートが決まったことしか目に映らないことだろう。 ----
10分もしないうちにケンタはバテていた。 ストリートサッカーはとにかく、息つく暇が無かった。 サッカーというよりも、バスケットをしているかのような運動量だった。 それでも、ゲーム自体はとても楽しい。 こんなに楽しいサッカーをしたのは、ケンタにしても生まれて初めてだったような気がする。 「もっと上手くなりたい」という一心で、 厳しい練習を耐えてきたこれまでのサッカーっていったいなんだったんだろうと思った。 辛いと思ったことは一度もないが、自分が楽しむためにゲームに参加するだなんてことは無かったと思う。 ケンタがゼェゼェいいながら、下を向いているのをみて、カルロスが少し休めといった。 まだできると言いたかったが、ゲームに参加したがっていたジョンの弟の姿が目の隅っこに映った。 ケンタは、ジョンの弟と交代して、あいかわらず車によっかかるサンターニャの元へ行って腰を下ろした。 「どう?ブラジルのサッカーは?」 「すごく楽しいよ。サッカーがこんなに楽しいものだなんて今まで、ぜんぜん知らなかった」 ゲームが再開されている。 ジョンの弟が、左足の裏でボール止めてからクルりと一回転して、 右足でボールを引き寄せてロブの右側を走り抜けた。 「ヒョッホ~~ウ!」と、ロブの雄たけび。 ビルのおっさんたちも、どよめきながらジョンに喝采を送った。 ジョンの弟が、そのまま数歩ドリブルして、カルロスにグラウンダーを出すが、 読まれていた兄のジョンにカットされて、カウンターを食らっていた。 「サッカーっていうのはね。お金があっても、努力だけしても、良い選手にはなれないのよ。」 サンターニャが腕組みをしながら独り言のようにつぶやいた。 ケンタが、母親の顔を見上げた。 「恋愛みたいなものかしらね。サッカーと恋をしていくことね。うわべだけじゃダメよ。愛がなくちゃ。」 「ウォウ!ゴ~ル!ゴルゴ~~ル!!」 カルロスの歓声が聞こえた。 ゴールを決めたのは、ジョンの弟だった。 サッカーと恋をするのか… ----
「ケンタには、たぶん日本のサッカーは向かないわ。なんていうかね。相性が悪いのよ 好きでもない人と付き合ったってうまくいきっこないわよ。 この人だって、思った人と、嫌われてもいいからずっと愛し続けたほうが人生は、無駄にはならないわ。」 サンターニャの言っていることはよくわからなかったが、 いまのケンタは、日本の中学や高校のサッカーよりも、 ストリートで楽しみながら培うブラジルのサッカーに惹かれていた。 これは、一目惚れしたといってもいいのかもしれない。 「ケンタは、日本好き?」 「もちろん。大好きだよ。」 「だと思った。わたしは、ブラジルを心から愛しているわ」 サンターニャも、腰を下ろして、ケンタとならんで座った。 「ケンタはきっと将来、日本を背負ってサッカーをする日がくると思うわ。 あなたはたぶん、他の誰よりも日本を愛している日本の子。 でも、半分はブラジルの子…。 ケンタが、ブラジルでサッカーの技術を磨きたいと思うのなら、おかあさんももちろん手伝うわ ブラジルでサッカーを学んで、そして、日本と幸次郎のために戦いなさい。」 ケンタは、心臓が震えるような感じを覚えた。 ブラジルでサッカーがしたかった。 ブラジルのサッカーと恋愛がしたかった。 カルロス達のゲームが終わったらしい。 タイムアップなんておしゃれなものじゃない。 カルロスも、ジョンも、ロブも、 「疲れた」という意見で一致しただけだ。 18対12というスコアで、ジョンたちが勝利していた。 ----
その日の夜、サンターニャに相談をしてみた。 母親が、ブラジル人なので、ケンタがブラジルの国籍を持つことは簡単だったが、 二重国籍を認めない日本の国籍を失う可能性もあるのだ。 母親がブラジルを愛しているのと同じくらい、その血を引き継いだケンタは、日本という国を愛していた。 日本の国籍を持ったままで、練習生か、留学生という形でブラジルでサッカーを学びたかたった。 サンターニャは、目をキラキラと輝かせながら、ケンタの質問に答えてくれた。 「簡単よ。明日、パウリスタのクラブ事務所に行って、入団テストの申し込みをしてきなさい。」 ----
翌朝、ケンタは、地元のプロサッカークラブであるパウリスタのクラブ事務所へ向かった。 「そりゃ面白い!」 といって、頼みもしないのに、カルロスも一緒についてくることになった。 サンターニャは、これ以上休めないからといって、サンパウロの日本語教室の仕事に出かけていった。 ポルトガル語を一通り喋ることも、書くこともできるケンタは、すんなりと、申し込みの申請をすることができた。 ついでにおれも。といって、カルロスも申し込みをしてしまった。 いいのか、そんなんで? 申し込みを済ませると、受付の女性がどこかに電話をかけた。 5分くらいすると、青色のスウェット上下を来たおっさんが、出てきた。 「さっそく、テストをするから、着替えてくれ。ロッカーに案内しよう。」 ということだった。 こんなことなら、カルロスと少しでも体を動かして、ボールに慣れておくべきだったと後悔した。 カルロスを見た。 目がギラギラとしていた。 「ついでに来た」くせに、全身から闘気を漂わせている。 頼もしい付き添いだと思ったが、付き添いだけ合格して、ケンタがおちたら、しゃれにならんと、ちょっと焦った。 ----
ロッカー室につくと、 青のおっさんが、白い上下のスウェットを二組と、黄色いビブスを二つ渡してくれた。 「シャワーはこっちだ。スパイクは、合うのをこの中から探して、好きなものを使ってくれ。」 言い残すと、おっさんはロッカー室を出て行こうとした。 「あ、そうだ。貸すんだからな!もって帰るなよ!」 おっさんはウインクをして、ロッカー室から出た。 「なぁケン、うかっちまったらどうするよ?、プロチームの練習生になっちまうぜ??」 「カルロスは練習生だけど、おれは留学生だよ。」 「そんなのどっちだっていいだろ。なぁ、もしかしたら、プロ選手になれるかもしれないんだぜ??」 「なれるといいね。」 「おれって、もしかしたら、じつは相当うまいんじゃないかって、思ってたんだよな。」 カルロスは、腕組みしながら自慢げに言った。 「そうだなー。すくなくとも、日本だったらどこかのユースチームには入れるだろ。」 「ほんとかよ??って、日本じゃなぁ。なぁケン、昨日ジョンっていたろ。」 もちろん、覚えている。 「あいつ、サンパウロFCの留学生だったんだぜ。来週ポルトガルに帰るって。」 「え?!」 「オレも、あいつには、いつも負けてるが、ケンは一度はフェイントでかわしたしな。」 そうだったのか。たしかにジョンはとてつもなく上手かった。 たしかに、ケンタは一度かわしたが、ジョンは明らかに油断していた。 「弟は?」 「帰る前に家族で遊びにきたんだと。かれこれ一週間くらい滞在してるよ。のんきなもんだよな」 ジョンの弟も、ケンタ以上の技術と豪快さを持っていた。 ケンタは、サッカーの世界の広さと高さに愕然とした。 「どうした?大丈夫だよ。ケンもいい線いってるぜ」 カルロスがケンタの背中をたたく。 「さ、いこう。それにしてもくっせースパイクだなオイ。」 スパイクは、どれもピカピカに磨かれているが、匂いだけは、いくら磨いても落ちないらしい。 それだけ、激しい練習をしているということだろうか。 「よし、行こうカルロス。ビビるなよ??」 「ッハ、オマエだろそれ。」 ケンタとカルロスはヒブスを付けて、ロッカー室を出た。 ----
ロッカー室を出ると、おっさんが、すぐそばのベンチに座って、ケンタ達の申請書を眺めていた。 「実は、君達のことは知り合いから聞いているんだよ。」 ケンタとカルロスは首をかしげた。 「いつも、フェルナンドビルの裏でやってるだろ。」 ―フェルナンドビル?ああ、あの、チョークでゴールを書いた壁のことか。 「本来、申し込みをしたくらいじゃ、いきなり練習を見ることなんてないんだが、君達は特別だ。 昨日の試合は、とくに見ごたえがあったらしいな!」 おっさんは愛嬌のあるニコニコとした顔をした。二人の申請書を見ながら、さらに質問をはじめた。 「ケ・ン・タ?ケンタでいいのか?得意なポジションは、サイドバックか。他に得意なことは?」 「ケンでいいです。フリーキックにはちょっと自信があります。」 「OK、ケン。つぎに、カルロス。君は得意なポジション書いてないが?」 「オレはキーパー以外どこでも。でも攻撃的なポジションの方がいいな。」 「OK。じゃあ、今から、30分だけ練習に参加してもらう。紅白戦に途中出場だ。できるな?」 「いつでもいけるぜ。」 カルロスは、自信満々の顔をおっさんに向けた。 「じゃ、行こうか。」 おっさんと、二人はそろって、通路から練習場に向かった。 ----
練習場に出た。 そこそこ広い土のグラウンドだった。 でも、ちゃんとネットのついたゴールがあるし、ラインもまっすぐ引かれている。 ケンタの中学の頃のグラウンドよりも、横幅が少し広い感じがする。 ピッチの中央で、おっさんと同じ青いスウェットを着たじじぃを中心に、 ケンタやカルロスと同じくらいの年齢の30人くらいの練習生達が集まっていた。 おっさんが、ケンタ達に言った。 「いまからあいつらが紅白戦をやる。おまえたちには10分の準備運動と、5分の観戦時間をやろう。 その後に、状況をみて二人を交代で入れる。」 言い残すと、おっさんは、じじぃの方へ走っていった。 ケンタとカルロスは、準備運動を始めた。 やがて、紅白戦が始まった。 気が散って準備運動どころじゃなくなったところに、おっさんがすねあてと、ボールを持って戻ってきた。 「5分たったら見る時間をやる。体あっためとかないと、一生後悔するぞ」 おっさんは、またピッチサイドに戻っていった。 ケンタとカルロスは、すねあてを付けてから、軽いパスの練習を始めた。 カルロスのパスは、軽くといっても結構速いので、余所見をしている余裕がなくなった。 ケンタも、負けじと、強くボールを蹴ってパスを返した。 ケンタは、ころあいを見計らって、胸トラップや、ヘディングを織り交ぜて、カルロスに返した。 カルロスも、同じように、ボールに慣らせていた。 もしかしたら、カルロスは、きちんとしたサッカーの教育は受けていないのかもしれない。 こういった時間の使い方は、部活で鍛えられたケンタの方が上手だった。 さすがに、昨日、さんざん激しいゲームをしているので、 ケンタもしばらく遠ざかっていたとはいえ、そこそこのフィット勘に戻っていた。 ピッチ両面を使った普通のルールのサッカーは久しぶりだけど、自分の体を信頼することにした。 たぶん、勝手に動いてくれるだろう。 「カルロス!ケン!こい!」 おっさんが呼だ。 ----
二人は、観戦を始めた。 黄色と、赤のチームが試合をしている。 実力はどちらも似たり寄ったりに見える。 黄色のチームは2トップ。赤のチームは、3トップ気味の1トップのようだ。 4人が最終ラインに揃っていることがほとんど無いが、 サイドの選手の動き方からみて、最終ラインは、おそらく両チームとも4バックだろう。 ケンタが入るとしたら、やっぱりサイドバックだろうか。 攻撃的な動きは好きだが、日本ではあまり好かれないスタイルなので、思い切って攻め上がった経験は少ない。 それでも、今日は、うんと思い切りよく攻撃参加したほうがよさそうだ。 日本の中学校のサッカー部で、日本語で教わったサッカーの戦術ではあるが、 地球の裏側に来ても、ちゃんと内容が理解できるし、そこから選手や監督の意思や性格も伝わってくる。 サッカーは世界共通言語とは良く言ったものだとケンタは思った。 「なぁケン。」 流れを観察している横から、カルロスの緊張感の無い声。 「おれ、じつはきちんとしたサッカーってやったことないんだ。おれは、なにやったらいいだ?」 ケンタは、おもわず噴出してしまった。昨日、あれだけのテクニックを見せ付けておいて、それはないだろ。 もしかしたら、この試合を見ても戦術云々ではカルロスは、ちんぷんかんぷんなのか。 「わ・・わらうなよ。なぁ、なんかアドバイスくれよ。」 「そうだなぁ、カルロスはたぶん前衛にされるだろうから、ま、あまり周りの動きは気にしないで、 オフサイドにだけ注意して、こっちの半分のエリアで好きなようにやったらいいと思うよ。」 といって、ケンタは赤いビブスのチームのエリアを指差した。 「もし、おれがボールを持ったら、かならずカルロスにボールを出すから、 そのときに備えて、なるべくフリーの状態でいてくれ。」 「そんなにオイシイ役でいいのかオレ?」 「なにいってんだ。それでカルロスが得点でもしてくれたら、俺だってヒーローだよ」 「オイ、おまえら!」 おっさんが怒鳴った おっさんが、じじぃと何か話をしてから、また怒鳴った。 「出番だぞ!」 ----
おっさんが、選手の交代を告げた。 おっさんの一言。 「まさか、どっちのチームかなんて聞かないよな?」 黄色のチーム。 ケンタは、右のサイドバック。 カルロスは、ダイヤモンドのトップ下ポジションに入った。 試合は、ケンタの反対サイド。 赤チームのスローインで再開された。 赤チームの選手が、ボールを受けた。 ケンタの背後で土を蹴って走る音がした。 咄嗟に斜めに走り出した。と同時に、中央の選手が、ケンタのサイドへ裏を狙ったボールを送った。 これは、奪えると直感した。 いきなり見せ場だ。 日本と比べたら、とてつもなく速くて正確なカーブボールだったが、昨日のストリートサッカーですっかり慣れていた。 ケンタと、敵の選手が、ボールを追いかけた。 先にケンタが追いついて、ボールをキープした。 首だけ振り向くと、敵の選手のスライディングが、避けきれない位置まで迫っていた。 簡単に倒された。左足に鈍い痛みが走った。 (オイオイ?ファールだろ??) しかし、笛は鳴らなかった。 敵の選手がすぐに起き上がって、悠々とペナルティエリアに侵入し、ディフェンダーをあざ笑うマイナスのグラウンダー。 どんぴしゃのタイミングで、ど真ん中からどフリーの敵選手がノートラップで強烈なシュートを放ったが、 ボールはバーのわずか上を、唸りながら通過していった。 撃った選手が、空に呪いの言葉を唱えていた。 ケンタは、まだ倒れていた。 ―これが紅白戦?ウソだろ?? 「ケン!」 カルロスの声。右手を上下に振って、立て、立てとジェスチャーを送っていた。 とりあえず、痛みの走る部分を触ってみる。 痛いが、走れないほどじゃなかった。 黄色のキーパーが、手を扇いであがれと合図を送っていた。 ケンタは、小走りで、センターラインの手前まで走った。 ケンタが振り返ってからキーパーがゴールキックを放った。いがいといいヤツだな、あのキーパー。 ボールが、センターサークルのあたりに落下する。 センターバックが、ラインを下げた。 ケンタも、同じ高さを維持して、ポジションをすこし中央に絞った。 ハーフの空中戦。 黄色と赤の選手が同時にジャンプして、空での自由を奪い合っていた。 ヘディングをする目的じゃなくて、ヘディングをさせない目的でジャンプしている。 ルーズボールを、赤の選手がトラップした。 黄色の選手が、ショルダーチャージをしかけた。 転がったボールを、別の黄色の選手が、すぐに前へこすりあげた。 ボールの先には、カルロスが居た。 誰でもいいから、視界に入った黄色のビブスにパスをだしたのだろう。 笛が鳴った。 カルロスのオフサイドだった。 ----
時間ばかりが過ぎて、いいところが無かった。 味方の選手は、だれもケンタにボールを出してくれない。 カルロスへのパスも、オフサイドになった1回こっきり。 黄色の味方は、味方ではあるが、チームでは無かった。 ケンタがときどき、敵に張り付いて、ボールを奪いかけるが、タックルでつぶされた。 何度目か以降は、味方のキーパーも、ケンタが起き上がるのを待ってはくれなかった。 痛みをこらえて立ち上がり、ふたたび、敵の左サイドとマッチアップする。 黄色のチームは、ポゼッションで二人欠けているに等しいので、 常に数的不利な攻撃だった。形がまったくできていない。 赤のチームも、ケンとカルロスに見切りをつけていて、マークがゆるくなっていた。 ケンタは、独断でプレスを仕掛けることで少しは試合に参加しているが、 カルロスはなにもしないでウロウロしていることが多かった。 二人の状況を打開するには、ケンタがボールを奪うしかない。 黄色のチームが、カウンターで久しぶりにシュートを放った。 谷の底からようやく這い上がってきた一撃だったが、 なんのイメージもない、平凡なシュートを、敵のキーパーが簡単にキャッチして、赤チームのカウンターが始まった。 敵キーパーが、ケンタのサイドを狙ってパントキックを放った。 重力で落下するのではなく、意思を持ち、高速で落下してくるロングフィードだった。 カモメではなく、ツバメのようなボールが飛来してきた。 敵の選手が、いっせいに前掛りなる。 カウンターのカウンター。いくらなんでも走りすぎだろ。 さすがに、フォワードは両チームとも走り出しに切れが無い。 戦術についていってないカルロスは、スタミナが有り余っているはずだ。 カルロスのテクニックと、瞬発力を活かすチャンスは今しかない。 このボール絶対に奪う! ----
ケンタは、わざと、敵のウイングフォワードと距離をとった。 あれだけ走った後に綺麗にトラップできるはずがないと考えていた。 それは間違いだった。 いままでよりも、ほんの少しだけ大きなトラップをした、 余計に弾んだボールの動きをそのまま利用して、タッチラインぎりぎりからケンタをドリブルで抜き去ろうとしていた。 カウンターの真っ最中なので、足を出して、スローインにさせて時間を稼ぐべきなのだが、 このボールは、なんとしてでもケンタがキープして、カルロスのところに放り込みたかった。 敵のウイングは、ケンタの心中を知ってか知らずか、強引に狭いところの突破を図った。 速い。とにかく併走した。だいぶ走った。 ゴールラインが近づいてきた。 敵の選手が、切返した。また切返した。 コイツはいったい、いつになったら息が切れるんだ! 敵の選手が顔を上げてケンタの後ろに視線を投げた。 ケンタは、そのとき確かに見た。見えた。確信した。 敵の選手の眼が両方とも、一瞬左に動いた。 真後ろには、キーパーしかいないと直感が告げた。 イメージがケンタの脳天を突き抜ける。敵は、ケンタの左側に切返してマイナスを放つ。そう確信した。 敵が、左肩を傾けて右足を上げた。フェイントだ。 ケンタは、ひっかかったフリをして肩を右に傾けた。でも右足に目いっぱい重心をかけた。 このままケンタの右に抜かれた終わりだ。 日本に帰って、サッカー部に入部届けをだして、先輩の無意味なシゴキに耐えなくてはならない日がやってくるのだろうか。 敵の右足が、ボールの上を通過した。 通過した足がアウトサイドでボールに触れた。ケンタの左側にボールが転がった。 神が舞い降りた。 敵の出したボールが予想したよりも大きかった。 いい加減、疲れて集中力が途切れたか。 ケンタは、弓から放たれた矢のように、ボールと選手の間に割り込んでボールを奪った。 この時ほど、ボールの感触が心地よかったと感じたことは無かった。 ボールが、ケンタの右足に吸い付いた。 顔を上げた。カルロスを探した。 母と同じ、栗色の肌。 見えた。 フリーだ。 カルロスが横に飛んだ。その先に広大なスペースが広がっていた。 未来を描くキャンパスだった。 そうだ。夢は掴み取るものなんだ。 さぁ、カルロス。掴み取ろうぜ。 あのキャンバスに俺達の未来を描くんだ。 ケンタは、思い切りボールをこすりあげた。 ボールが離れた直後に頭からすっころんだ。 後頭部を土のピッチに打ち付けられた。 「カン」と、ヤカンをたたいたような音が頭のなかにこだました。 おそらくタックルをうけた。さすがにこれはレッドカードだろう。 とりあえず、カルロスが見える方向に転んだ。 ボールが地面を跳ねたところで、痛みが襲ってきた。 ケンタは、頭を抱えながら、副審を見た。 旗は揚がらなかった。 主審が、右腕で、空をぐるぐるとかき回してアドバンテージを宣言していた。 ロングパスには自信があった。 緩やかな曲線を描いて、走りつかれたフィールドプレイヤーを飛び越えていった。 地面を跳ねると、一気にスピードを落としたボールをカルロスがトラップした。 綺麗なファーストタッチだった。 まだバウンドを続けるボールに、もう一度タッチして、唯一追いついたディフェンダーのタックルを軽々とかわした。 残るキーパーが、両腕を広げてカルロスを待ち構えていた。 ケンタの位置からでは、そのやり取りはハッキリとは見えなかったが、 カルロスのシュートが横に飛んだキーパーの腹の上を緩やかに飛び越えていった。 カルロスが飛び上がった。 こっちを向いて、叫んでいた。 「ウォウ!!ゴルゴル!ゴ~~ル!!」 おっさんが駆け寄ってきた。 「ケン、大丈夫か?」 ウイングフォワードは、レッドカードで退場になった。 そして、オレとカルロスにも交代が告げられた。 ----
日本。 夏が過ぎて、秋も終わりに近づき、過ごしやすい陽気が続いている。 1時間ほど残業してからの会社の帰り道。 いつも寄っていく近所の居酒屋で、夕食代わりの煮物と惣菜を肴に生ビールを2杯空ける。 そのあと、いつも寄っていくコンビニでペットボトルのお茶とタバコを買う。 そしていつもと同じように、コンビニの袋を手に提げて、幸次郎はマンションのエントランスにたどり着いた。 三日に1回くらいしか覗かない郵便受けを見ると、ダイレクトメールの山の一番上に1通の封筒が乗っかっていた。 なんだか、幸次郎の帰宅に合わせて、つい今さっき、 自分で空を飛んできて、いま羽をしまったばかりだとでも言いたげなエアメールだった。 差出人は、息子のケンタだった。 夏にブラジルに旅行にいったまま、帰ってこないドラ息子だ。 コウジは、にやけた顔を一つつくると、ダイレクトメールはそのままで、 コウジの手紙だけを手に取りエレベーターに向かった。 部屋に入ると、留守番電話の点滅。 2件のメッセージが入っていたが、いずれも電話を切る音しか入っていなかった。 2LDKのマンションは、6年前にローンで購入した。 今年の7月くらいまでは、息子のコウジが同居していたが、いまは幸次郎の一人暮らしだった。 朝は早く、帰りも遅い幸次郎の一人暮らしで、部屋の中は脱ぎ散らかされた服や、飲み散らかしたお茶のペットボトルと缶ビールの空き缶が散乱している。 食事は、ここでは食べないので(というか、料理をすることが無いので) キッチンは、綺麗に整頓されているが、 よくみると、カビが生えている箇所がる。 つい2年くらい前までの一家3人暮らしなんて、遠い昔のようだった。 ----
幸次郎は、ネクタイを緩めてソファーに腰をおろした。 ペットボトルのキャップを空けて、お茶を一口含んでから、ケンタの手紙の封を開けた。 ------------------------------------------------------------ とうさん、元気ですか? ―ああ、元気だよ。 今日、やっとコーチに認められて、来週から一番底辺の組織なんだけど、 パウリスタのユースチームに参加することになりました。 ―なんだそりゃ? ユースチームっていうのは、プロ選手養成所みたいなもんかな。 いままでの、練習生とは違って、プロになる見込みがあると認められたってことなんだ。 オレと、従兄弟のカルロスと、あと、覚えてるかな?前の手紙で紹介したキーパーのホセってやつ。 3人が、ユースチームに昇格したんだ。 ―あぁ、おぼえてるよ。へんな約束をして、頭を丸めさせられたヤツだろ。 いままでは、ウェアもスパイクもぜんぶ自費だったんだけど、これからは全部クラブが買ってくれるんだって。 すごいでしょ? しかも、毎月、1000レアルの小遣いももらえるんだよ。1000レアルは日本円だと5万円くらいかな。 サッカーをしてお金をもらえるんだから、これも一応、プロサッカー選手なのかもね。 それと、高校のことなんだけど。 留学ということで、休学も認めてもいいと学校が言ってたって、とうさん教えてくれたけど、 帰ったら、留学していた年数分、また高校にいかないと、卒業として認められないんじゃ、やっぱり意味ないと思うんだ。 こうなったら、オレは一日も早くプロのサッカー選手になりたいからさ。 このまま、在学しててもお金がもったいないだけだから、 とうさんの方から学校に届けをだしておいてほしい。 ―バカ。そういう問題じゃない。これは保険だ。 最後になったけど、梅干ありがとう。 かあさん、すぐ食べちゃうから、また来月にも送って欲しいってさ。 日本から送るなんて、たぶん梅干よりも、送料の方がよっぽど高くつくよね。 でも、かあさん、ほんとに嬉しそうにしてたよ。 無理じゃなかったら、また来月も送ってあげて。 ―わかった、わかった。 あと何年かかるかわからないけど。プロになったら、かならず日本に帰るよ。 かあさんと一緒にね。 写真見た? かあさん、変わってないでしょ。 オレの右にいるのが、カルロス。 後ろに並んでいる二人が、かさんの妹夫婦。 一番左にいるのが、おばあちゃんのニャターリだよ。 おばあちゃんには、一度会ったことあるんだって? もう何十年も前だって言ってたけど本当? ―そういえば、そんなこともあったな… おばあちゃんも、とうさんに会いたいってさ。 こんど写真でも送ってよ。 それとも、とうさんもこっち来る? 旅行とかでさ? ―ああ、いつかな。 じゃあ、とにかく体に気をつけて。 一人でまさか、寂しくないよね? また手紙書きます。 ケンタ。 ------------------------------------------------------------ 幸次郎が、封の中をもう一度のぞいた。 写真が入っていた。 ニャターリには、1度会ったことがあるが、こんなババァは記憶に無い。 サンターニャが、中央で、投げキッスのポーズで映っていた。 相変わらず陽気なやつだと思ったら、周りの人たちもケンタも、 みんな不思議なほどにニコやかな表情をしていた。 …バカだな。 寂しいわけないだろ。 日本人てのはな、孤独に強い人種なのさ。 そんなかでも、オレはたぶん、日本代表だ。 ケンタも、アイツも、まったく理解できないだろうがな…。 - ケンタ Fin - --承認待ちコメント--
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